自給自足は傲慢か
自給自足は傲慢か
そもそもの話
動物王国のような場所を作るべく、活動と発信をしています。
毎日365日こうやって活動報告や思ったことを記事にしています。
動物王国をふかぼり
2021年抱負
そもそも私は自給自足という言葉が嫌いだ。
こうやってネット(電気)も使っているし、車にも乗るし、
生き物たちを飼うのに予防医療すらできないのでは困る。
世俗と隔絶されたサバンナやジャングルの中で暮らすならまだしも。
日本でそれをするのはほぼ、不可能でしょう。
単身山にこもって仙人のように生きれば別だけど。
それは社会性を持つヒトとしてのな生き方とは言えないと思う。
これまでの記事を元に
・世界的に規制が強化されている農薬が日本だけは緩和されていたり、
・なんでもかんでも買って済ませればいいというスタイルは、
貴重なモノづくりの力を失って行く危険がある
という記事をこれまで書いてきました。
もっと「自給力」をつけよう。
早い話、自分で食べるものは自分で作ればいいんじゃない?てこと。
古民家のすぐ前の小さな畑でも、絹さやがどっさり取れるし。
さほど苦労しなくても、意外と無農薬でも簡単に野菜は育つものだとわかりました。
全て自分でやる必要はない
でもね、(ここからが大事!)
自分は幸い、この関東の温暖な地域に住んでいるから、比較的多くの食べ物を作ることができますが、乾物なんかはちょっと作りづらい、難しいことを知りました。
例えばこれが北海道だと、(広大な土地と豊かな自然があるイメージですが)
1年の半分は雪で埋まり、土はシバれて農業なんてもってのほかです。
冬の間の食料まで全部を自分でまかなうのは困難を極めるでしょう。
「独立国家」ではなく、経済の中に溶け込ませる
自然農法で自分が食べるものは全てまかなう。
それができる場所や環境ならラッキーですが、普通はそうはいかない。
全部自分でまかなう必要はなくて、それぞれ得意な場所で得意なものを作って、お互いに交換し合えばいいのではないかと気づくわけです。
山で取れる獣肉と海で取れる魚を交換すればいいんです。
肉や魚は時間が経てば腐るし、農作物は収穫できるシーズン、旬がある。
交換できるモノがそうそうタイミングよく手元にあるとは限らない。
物々交換ではなくて、一時的に共通価値のあるものに置き換えてみては・・・
あれれ・・・?
それが今の貨幣経済ですね。
目指すのは自分だけが救われる世の中=独立国家ではなく、
社会、経済の中にそれを溶け込ませて浸透させていくこと。
自然農法や環境について共通意識を持った、信用できる人たち、仲間を全国に広げて行こう。