ペットロス

犬猫, 生きもの

通り過ぎて行くたくさんの命

命と向き合うとは

私が最初に会った犬は小学生の頃に親が飼った柴犬でした。
その後、社会人になり、縁あって動物王国の仲間入りをしてから、
15年間ずっと動物の仕事をしてきました。

ペットショップ勤務の時は年間で400〜500頭の
犬猫が出入りしていたので、ざっくり、
5000頭くらいは携わっているのではないでしょうか。

生まれる子たちがいれば、
当然、亡くなっていく子たちもいます。

今でも思い出す亡くなった子たち

生まれてすぐに、具合が悪く、次の日に冷たくなっていたこともある。

医学的にやれることはほぼ何もなかった。
夜中、泊まり込みで見る。
元気な子たちは母犬のおっぱいにすがりながら、みんな寝ている中、
その子、どこか痛むのか、急に火がついたようにピーピーと鳴く。
まだ目も耳も開いていない。
撫でて抱いてやることくらいしかできない。
まるで手のひらにすくった砂がこぼれ落ちていくような、無力感。

月並みだけど、どうしてこの子は生まれてきたのかなと考えてしまう。

生まれつき心臓が悪かったシェルティ。
このまま助かっても行き先(売り先、引き取り先)
があるかどうかはわからない。
でもそんな先のことを考えている余裕はなかった。
ホームセンターで人間用の酸素ボンベを
買ってきて吸わせたらちょっと楽になった。
翌日、容体が急変。
片手で運転しながら、片手で助手席においたその子にボンベを当てる。
信号待ちの間に心臓マッサージ。
「頑張れ!戻ってこい!」
言いながら、もう、わかっていた。
病院に到着する前に、その子は力尽きた。
ハザードをつけて止まった私の車を
怪訝そうに横目で見ながら後続車が追い越して行った。

「クッソ・・・!なんでだよ!」

どうしようもない。
あまりにも無力なことを痛感する。

そういう経験をすると、
「ちゃんと生きないとな」
と思います。背筋がシャンと伸びる感じ。

何年たっても、古傷のようにふとした瞬間に
彼らのことを思い出します。
それだけでも彼らの生まれた意義はあったのかなぁと
今は思うようにしています。

ペット関連で仕事をしていると、
そういうことに慣れるのでは?と言う方もいますが、
全然です。みんなと一緒です。慣れるわけがありません。

 

自分よりも早く亡くなるからこそ

生きてるってそういうことですもんね。
自分よりも寿命が長くて100年くらい生きますって言われたら
やっぱり躊躇しますもん。

最後まで面倒見ることが「できる」から
飼おうと思うし、最後まで見てやらないと!と
思うからこそ、日々の仕事のやりがいや
生きる希望にもつながります。
それってやっぱり、「家族」ですよね。

「別れがつらいから家族はいりません」
だとちょっと変ですよね。

結局、一人では生きていけません。
いろんな命に囲まれて、支えられて、
生きていますから。

共存すること

毎日魚の切り身、豚肉の薄切り、
サラダ、普通に食べていますけど
彼らが殺されている、命を奪っているってことを
毎日意識していたら、ちょっとしんどいですよね。
(植物だって生きていますからね。動物同様大切にしたいです)

意識しなきゃいけないのはわかるんですけど。
毎日が「いただきます」なんですけど。

ふとした時に、たまに、命ってこういうことかと
改めて気づかせてくれるという意味で
彼らの存在は大きいと思う。

毎日生きてる意味とか命の価値を考えてたら、
なんか殺伐としてギスギスして、疲れちゃう。
けど、完全には忘れてはいけない。

たまに、しっかり、向き合って、考えるべきこと。
そのバランスが、
ペットという媒体を介すと「ちょうどいい」と
私は思っています。

新しい命を迎えよう!

昨日、北海道の石川さんのところ
サモエドのアンラが出産しました。

石川さんのFacebookより

ペットロスを予防するのに一番良いのは
(先住犬が亡くなる前に)
もう一頭新しい命を迎えることだそうです。
「多頭飼い」ですね。

経済的なこと、環境的なこと、
飼えるかどうかをきちんと見極めた上で行うべきですが
可能であれば、多頭飼いを私はおすすめします。

犬猫, 生きもの

Posted by kyotako

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