天然酵母パンを通して見る社会

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パンを通して見るこれからの社会

天然酵母パン

こんにちは!きょうたです。
動物王国のような場所を作るべく、活動と発信をしています。
毎日365日こうやって活動報告や思ったことを記事にしています。
動物王国をふかぼり
2021年抱負

エコヴィレッジ視察で得た感想と考察の続きです!

訪問したこの日、天然酵母のパン焼きを見せていだだきました。
私自身もこれまで天然酵母でパンを焼いてきた経験があるので非常に興味がありました。

天然酵母でパンを焼いた時の記事

前日の夜から発酵させてきたパン生地。こんなに長く発酵させるんですね。
私は6時間〜8時間くらいでしびれを切らして焼いてしまいました。せっかちなんですね。

約20時間の低温長時間発酵。思っていたよりも水分が多いのに、手や容器にベタベタ付かない。すべすべ状態。発酵の状態が良いのだと思いました。

天然酵母で長時間発酵(分解)させることでグルテンなどのアレルゲンも分解・減少、
低アレルギーのパンが出来上がるとのこと。
科学的なエビデンスはないものの、少なからずそういう事象があることは容易に想像がつきます。

それぞれの地において活躍する酵母が微妙に違います。だから面白い。

街にいたパン屋の○○さん

ピザ窯とパン焼き窯の違いはその石の厚さでしょう。

ピザは高温で短時間、パリッと焼き上げる一方、パンは石に溜められた輻射熱でじっくり長時間かけて焼きます。窯に火を入れてから石を温めるまで2時間近くかかりました。

そこまでしても、当日の温湿度、酵母の状態でベストな火加減は変わってきます。
オーナー曰く、

この窯を使いこなせるのは私しかいない。

ここが管理された実験室ならまだしも、環境を同じにすることは不可能。
データを取るにも不確定要素が多すぎてあまり役に立ちません。
なんどもなんども焼いて、勘を養うしか方法はないと思います。

ゆえに、焼き上がり、味も毎回変わります。圴一にすることが不可能なんです。

それをちゃんと理解してくれる人にだけおすそ分けしていると仰ってました。

むかーし、中世の街のパン屋さんはそんなもんだったんじゃないかなーと思うんです。

今日のパン、なんだか固いなぁ、とか。
お!今回はすごくうまくいったぞ!とか。

そういう日々の変化を受け入れて楽しむことが豊かな生活なのではないかと思いました。

今はどうでしょう?某レシピサイトを見れば、
材料をきっちり測り、オーブンの温度と時間も秒単位で設定し、
いかに、同じ味、品質を再現できるか、にとらわれすぎている気がしました。

そればかりではちょっとつまらない。

消費者を想像して作られるもの

このパンが面白いのは、
「消費者を想像して作られているもの」
ということです。食べてくれる人の顔が思い浮かぶんですね。

当たり前のようで当たり前ではない。

最近は生産者の名前や顔写真が出されている野菜が売られていたりしますが、
生産者は買う人の顔や名前を知らないですよね。

これからは生産者の方が、
あの人が買ってくれる、食べてくれる
ということを考えて作られるものが価値をもつようになると思いました。

そういう野菜、食品を作っていきたい。

求められる工業規格製品

パンの話に戻ります。

今回焼いたパンのうち、奥の二つはいつも通りの焼き方で、
手前の4本は今までにやったことがない焼き方で試験的に焼いたパンでした。

というのも、
2時間かけてしっかり蓄熱されたパン焼き窯は全く冷めないのでその熱量がもったいないと感じたのだそう。ゆえに今回は生地を多めに用意して新しい容器を使ってパンを焼いてみたのだそうです。

「これは試験的に焼いたものだから」

と最後にお土産としていただきました。
実家で両親に何も言わずに渡したところ、
「硬くてあんまり美味しくなかった」
という酷評を頂くことになってしまいました。汗

私の説明不足もあり、今回のはちょっと特殊な例ではありましたが、
やはり一般的には、同じ味、同じ品質を求められるのが今の世の中なのかなぁと感じたことでした。

パンに限ったことではありません。
自然を相手にした農作物や畜産物においても全く同じ。

自然のものなんだから。全く同じ品質なんて存在しないんですよ。

工場で作られる工業製品か何かと勘違いしているのではないですか?

理想はあっても全ての人に理解されるのは難しいこと。


パンを焼くのが約250℃くらい。その後、温度が低くなった窯(180℃前後)で焼かれたシフォンケーキ。余熱も無駄にしません。

求められる人材も規格品なのか

会社において個性を出されるのは困ることが多いようです。
問い合わせの電話にオペレーターAさんが出たとします。

改めて電話をして、次はBさんが出たとしても、引き継ぎがされていて、
同じ品質の対応、サービスが受けられるようになっています。

これは素晴らしいことのようですが、
AさんでもBさんでも、代わりはいっぱいいるよね、と言い換えられます。

そう、まるで工場規格品であるかのように。

自分はその会社になくてはならない貴重な存在なのでしょうか。
それとも代替えがきく、単なる歯車の一つなのでしょうか。
自己肯定感や働きがい、働く意味に迷うのもこの辺りにあるのかもしれません。

辞めていくあの人が(自分が)居なくなっても困らないですか?

だとすると、ちょっと寂しいことですよね。

悪いことばかりでもありません。
誰でも簡単に代われる方が万が一の休みの時にカバーしてもらえますし、
安定した給与が頂けるなら歯車の一つとして淡々と仕事をするほうが楽だと考える人もいるでしょう。白か黒か、良いか悪いか、という話ではありません。

オンリーワンでいいはずなのに

その点、犬、猫、ペットはオンリーワンになっていますよね。
お前の代わりなんていくらでもいる!なんて絶対ならない
何もしてないのに(失礼)かけがえのない存在だもんなー。

エコヴィレッジに住んでいる三毛猫。とても人懐っこく、よく喋る。

自ら進んで外に行こうとするのは不思議でした。
餌は屋内にあるし、雌だからナワバリを気にするようにも見えないし、
こんな雪が降りしきる中、外に行くメリットなど一つもない気がしますが。
暖かいところにずっと居たがると思い込んでいました。

一緒に食べた鹿肉のシチューが美味しかったことと言ったら!

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Posted by kyotako

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