飼う資格
犬猫を飼う資格
現代人に問われる問題
最近私の知り合いが引越しをした。
結婚もせず、タバコも酒も女もやらないけど、ギャンブルが好きな男。気ままに暮らす30代。誰にも迷惑をかけず、それなりに収入もある。好きなことにも比較的自由に使えるお金もある。
そんな男が、猫を飼いたいと思い立ち、ペット飼育が可能なマンションに引越しをしたのだ。
すでに引越しは終え、いざ、猫を迎えようと思って譲渡会の情報を調べていると、様々な「制約」を課せられるものが多いことに驚いていた。
男性の一人暮らしはNG
お留守番●時間以上はNG
犬は毎日2回以上2時間以上のお散歩をすること
飼育環境立ち会いチェック
収入チェック(所得証明提出)
家の間取りチェック
ご飯は1キロ千円以上のフードを与えないとNG
月に1回は写真で報告をしなければならない
などなど。
海外でも事前に犬猫を飼育する「資格」を有するかの独自チェックがあるのがスタンダードになりつつあり、日本もこれに続け、という流れがきているらしい。
結論から言うと、個人的には、大いにこれに反対したい。
本来、犬猫と暮らすのは、この地球に生まれたからには、どんな者にも有する権利であるべきだと思う。最近では「ペットは家族」という認識も浸透しつつある中で、
あなたはシングルだから子供を持つ権利はありません。
あなたは所得が低いから子供を持つ権利はありません。
なんて言ったら炎上間違いなしだ。ペットは家族ではないのか。
一方で、そんな屁理屈は置いておいて、現実にはペットを飼うにはそれなりの環境やお金が必要なのも事実。
ただ、結婚してようが、お金持ちだろうが、それがペットの飼育管理に回っているかは別問題で
貧乏でも単身でも最大限のQOLを目指して共存する人もいれば(それこそが家族だと思う)
お金持ちでもネグレクトな飼い方をする人だっていると思う
結果、どうなるかというと
猫は飼いたいし、どうせなら里親を、と思っていたけどいろんな制約に縛られるのは嫌だ。もっと気楽に猫との生活を楽しみたいし、そもそもプライバシーでしょ。
となると、制約に縛られないペットショップに行った方がいいわ。
という結論になってしまう。
なぜこんなことになってしまっているのか。
「愛を確認したい」
制約を設けるところの大きな根拠はこれに尽きると思う。
「愛情を持って飼育してくれるか」「愛情を終生持続継続してくれるか」
愛情の担保が欲しいのだ。こうしたルールができたのは、せっかく大切な犬猫をお渡ししたのに、残念な結果になってしまった経験がそうさせているのは明らかだ。
気持ちは良くわかる。
しかし、敢えて、私は言いたい。
前の記事で書いたけれど、愛の形は人それぞれであり、飼い方(=愛情のかけかた)を押し付けるものではないし、そもそも人の心は縛れないものだ
「一生愛してくれますよね?」
「ちゃんと愛情かけているか定期報告してください」
まるで束縛好きな恋人同士の会話みたいだ。それが好きな人たちがいるのは認めるけども、ほかの人たちも同じように強要するのはよくない。多様性に反する。
先が知れない社会経済状況の中、未来は読めない。
covid-19だって誰も予想できなかったではないか。
ペットはおろか、自分たちの生活すら確保できるか怪しいのが現代だ。
心のつながりが一番大切。でも見えない。
愛情ゼロになった状態で飼育継続されている状況ほど、悲しいことはない。
ネグレクトがいちばんの虐待であるのは周知の事実。
心のつながりが最も大事なんだ。
別れてお互い別々の道を歩むのがより幸せになる可能性もあろう。
「愛の確認」なんて儀式みたいなもので、本質的なものではない。だとするとペットショップがやるような契約書一枚でも充分じゃないかと私は思う。
ペットの衝動買いを否定する者もいる。
一目惚れから結婚し一生添い遂げるカップルだっているだろうに。
出会い方には関係ない。
こういう話題でディスカッションすると本質がずれて行くことが多い。
何をすれば良いか
ではどうすればいいのか。
罰則をもうけるのも一つ。これは法律に頼るしかない。
不可抗力もある。保険をもうけるのも一つ。
ペット後見という制度ができつつある。
まだ高額なお金を預けられる人しか受けられないけども。
こういう共済システムが確立すれば問題が少しずつ解消するかも知れない。
あとは心の授業だ。
愛情とは。家族とは。
この部分が欠けてきているのが一番問題なんだと思う。
メディアでも施設でも文化でも、様々なところで心を育てて行くところが抜け落ちている。
そういう場所や発信をして行くことが急務になっている。