自重のジュース
日々忙殺されて忘れがち
あぁ、確かこんなことが書いてあったよな、と本にある一節を思い出すことってありませんか。
時に自然というのはとても極端で、シーズン、いわゆる、旬になると、山菜や木の実などが
もう、これ以上は勘弁・・・!って言いたくなるほどの量が収穫できたりしたそうで。
「来年も、他の人も、野生動物たちの分あるから取りきらず残してあげないと・・・」
なんてことを考えなければならなかったのはごくごく最近のことで
「どうせ取りきれないよ」ってくらい、それくらい、豊かな自然が普通にあったそうだ。
どっさり収穫して、その自分の重みで潰れてしまって溢れて来るジュースが最高だと
ムツさんは書いていました。
「自重のジュース」だ。
自分で作り出した責任感や重圧に潰されそうな自分を投影して不思議な気持ちになった。
私が北海道にいた時に体験したのは、川一面を絨毯のように埋め尽くす、クレソン。
家族全員、腹一杯、目一杯食べて、堪能して、それでもまだたくさん残っちゃってる。
さて、どうしよう。
ここから、余剰をどうにかして残そうというところから、
人類の保存の技術、食品加工の技術が生まれ、育って来たということですよね。
余剰から生まれるものが大切。