多様性とは
犬猫保護活動を考える
恵比寿で行われた猫の譲渡会に行ってきました。
そこは保護活動の業界、システムを根底から変えていこうとしている、私がとても期待している人たちがやっているところなんです。
動物の保護活動はとてもとてもお金がかかります。
だから、他のビジネスよりも儲かっていかないと維持継続できません。
今はまだ小さな活動かもしれませんが、いつか、バズって、大きな動き、流れになってくれればいいなと思っています。
そういう人たちと話をすると、とても熱く、盛り上がります。
よし、頑張ろう!変えていこう!いい考えの人たちがいっぱいいるじゃないか!
すごく心強い仲間が集まってきている感じがします。
でも業界は一向によくなる気配がありません。。。
犬猫の保護をする人たち、生体販売に反対する人たち、殺処分を減らそうとする人たち。
そういう人たちの発信は良く耳にします。でも、反対の立場の人たちの声はほとんど聞きません。
悪徳ブリーダーと呼ばれる人たち、ペット業界でお金儲けを最優先してアニマルウェルフェアを考えない人たちは一体、どんな心持ちでやっているんだろう?
それに対しての結論が、こちらです。
「命は大切、動物を殺すのはかわいそうと言いながら、豚肉・牛肉を食べているのと同じことですよ」
とてもわかりやすい例えでした。
つまり、
人間は都合がよく、矛盾だらけのグレーゾーンの中で生きているものだ。
たとえ肉を食べなくても、車に乗ったり電気を使ったりすることで環境を破壊し、間接的に動物たちにダメージを与えてしまっていることもあるし、単純に食べないからいい、食べるから悪、とそんな単純な問題じゃないってこと。本質はそこじゃないんだ。
①みんな繋がってるということ。
②いろんな考えがあって(多様性)それを認めていかなければいけないこと。
そこからスタートしないと始まらない。
彼らだって犬猫の殺処分、不遇な境遇の動物たちのことをかわいそうと思っている。
けど、自分がやってる「ビジネス」とは全く切り離して考えてしまっている。
肉を食べる話と同様、「それ」と「これ」とは別なのだ。
どこまでの広さを考えるか。
自分の目の前だけは平和であればいいのか。
視野を国まで広げるのか、世界にまで広げるのか、地球規模で考えるのか。
それによっても大きく変わってくる。
私が昔勤めていたショップでは、先天性疾患が疑われる要素を持つ犬猫は一切仕入れないようにしていました。
そうすると、ショップから出た犬猫たちは(値段はそれなりであっても)疾患率が極端に低くなり、いわゆる消費者からの評判、評価は高くなりますよね。あそこは良いペットショップだと。
でも、見方を変えると先天性疾患リスクの高い子たちを見捨ててる(仕入れない)とも言えるわけ。
どの部分までを見るかで評価が真逆になるんです。
実際犬猫業界の人たちは、動物たちにとってかわいそうだとか、不遇であると、そもそも思っていない人たちが多い。
普通に販売しているケージも、下が網になっていて汚物が体につきにくい設計になっているのが、逆に網の上に置いておかれてかわいそう、これでは虐待だ、と考える人もいる。何がいけないの?と考える人もいる。
「プラスチックの、やっすい小さなケースに押し込められて・・・」
えっと、、キャリーって大体プラスチック製じゃない?
巨大な金属製のケージならいいってこと??
なんかそれってただの言い方の問題じゃない?
「冷たい金属の、薄暗い檻の中に閉じ込められて・・・」
いや、言い方!言い方大事!言い方でいかようにも捉えられちゃう。
どこからが虐待で、どこまでなら許せるのか。
これもまた人による。グレーゾーンだ。
どうやったら業界は良くなっていくのか。
他者は変えられない。変われるのは自分だけだ。
ただ、これだけはわかる。
他者(他社)を叩いてもいいことはない。
考えが違う他者を認めた上で、自身をコツコツ伸ばす努力をするだけだ。